このブログ記事は、RED WING HERITAGEの記事、”The First Red Wing Shoe Stores“を訳したものです。
1950年代になって、レッドウイング・シュー・カンパニー(以下レッドウイング社)は、社内の3つのメインの事業部がそれぞれ異なる方向へ向かおうとする事態に直面していました。
ユタ州のソルトレイクシティ事業所は、西海岸の労働者向けの靴のラインを作ろうとしていました。一方、ダラス事業所は、婦人や子供向けのブランド展開を広げることに注力していました。ミネソタのレッドウイング本社は、国内のそれ以外の地域の労働者向けに継続して事業を展開していました。
それぞれの事業所は、会社の将来、イメージ、マーケティング戦略について独自の考えを持っていました。そして、それぞれの事業所の異なる性格が、拡張しても薄っぺらいものであり、注力できないものであることが次第に明らかになってきました。
レッドウイング社は、会社の将来進むべき道がどれなのか分からない分岐点にいることに気がつきました。熟考を重ねた末、レッドウイングは労働者向けの高品質の靴とブーツを作る事に専念する事にとどまるべきであると結論を出しました。
一つの製品アイデンティティによって、会社は再び一致団結しました。ブランドは機能性を重視したブーツを作る事に再び専念することによって、会社の原点に回帰することとなりましたが、成功が保証されたものではなく、別れ道であった事を示していました。
ブランドの統合と消費者の需要の変化によって、レッドウイングの靴とブーツは、独立営業の靴の販売店の陳列の脇に徐々に押しやられていきました。ほぼ同時期に、ソルトレイクシティの事業マネージャーのハロルド・パックウッドが専門店のコンセプトを提案しました。
パックウッドは、多くのブランドが幅やサイズの異なる種類が揃えられていない事、ほとんどの消費者が個店の靴屋で適切でないフィットの靴を与えられていることに気づいていました。パックウッドの専門店のアイディアは、消費者にそれぞれ個人にフィットした正しいブーツを見つけ、適切なフィットのレッドウイングを手に入れる事を可能にしました。
これは、1953年にソルトレイクシティにオープンしたVaughn Johnson経営の最初のレッドウイング・シューストア(以降、レッドウイング専門店)の写真です。
ジョンソン氏のお店は、その後すぐに将来のレッドウイング専門店のスタンダードとなりました。1960年までに、12の全米の各地に所在するレッドウイング専門店がありました。
当初は、専門店は利益を出せるのか分かりませんでしたが、数年後、運営も安定してきて売り上げも上昇しました。現在、全米に559以上のレッドウイング・シューストアあります。さらに、ヨーロッパやアジアにもいくつか店舗があります。
それぞれの店は、現在も適切なスタイル、サイズ、そして最大限の快適であるフィットしたレッドウイング・シューズを得られることに継続して重点を置いています。
コメントを残す